上神焼(かづわやき)は古く宝暦年間(1750年頃)に開窯され、伯尾山、伯州尾山と続き、上神山の窯を開きました。
明治に入り、亀玉、伯面、玉伯の名称で製陶され、絶えようとする時、平野洞雲に師事した初代藤一が再興を願い、上神山の窯を開きました。その作風は長い伝統と色鮮やかな辰砂の上神焼として皆様より好評を受けて参りました。二代藤一(民也)は父初代藤一に師事し、三代芳子が継承している。辰砂はもとより油滴天目、金彩窯変など新しい分野も得意とします。
檑鉢は雑器のうちの雑器で粗末に扱われた。それだけに、古い物は少ない。檑鉢の素朴さや形が愛されて、初めから茶陶として焼かれた物もある。